2012/07/10

鋳造と投げ釣り

casting #108 / 2012 / spray paint on printed paper © Hiraku Suzuki

- 小金沢健人さんとの二人展 "Panta Rhei"に寄せて


ちょうど一年前、ロンドンで初めて鋳造による制作をしたとき、僕はこの「鋳造 (casting)」という語が、同時に「投げ釣り」や「投影」を意味するということがとても面白いな、と思った。

ロンドンの鋳造所では、最も原始的な鋳造法のひとつである砂型鋳造 (sand casting)という方法で、"光の象形文字 (Glyphs of the Light)"というタイトルの、架空のロゼッタストーンのような彫刻作品を作った。まずは石膏でまっさらな石盤をたくさん作り、その表面には、ヒエログリフの代わりに、風で揺れている木漏れ日のカタチの残像からとったドローイングを彫り入れた。それを今度は粒子の細かい砂に埋めて打ち固め、パカッと外してネガとポジの反転された型を作る。(この時点で石膏はもういらないので、割って砕いて、再利用に回す。)こうして作った鋳型に、熱で溶かしたアルミニウムを流し込み、一晩冷やせば、最終的に木漏れ日の記号が刻まれた銀色の文字盤ができ上がっている。

この鋳造という工程は、僕のあらゆるドローイング制作の核心にあるプロセス、つまり「見ること」と「描かれたもの」との間で起こっていることを、実際に再認識させてくれるものだった。もともとあった物質や記憶が消えて、それらの痕跡としての新しい物質や記憶が現れるまでに、様々なネガポジ反転現象が起こっているということ。そもそも反転というのは、約3万5千年前の旧石器人がショーヴェ洞窟に施した手形(ネガティヴハンド)に始まって、19世紀に生まれた写真術にも通底する、イメージの生成技術である。これによって現実そのものを「鋳型」として、ネガポジ反転=鋳造されたイメージが現実の隣りに現像される。さらに、こうして生まれたイメージもまた「見られる」ことによって、すでに「描かれたもの」という、もうひとつ別の現実となり、次の鋳造のための型になるわけだ。こうしてイメージはまた新たなイメージへ、現実は新たな現実へと鋳造され続け、もともとそこにあったものは痕跡を残して忘れ去られ、フィードバックの外へとじわじわ拡張していく。だから鋳造は、エコーを生む技術だと言える。

オノ・ヨーコが「あらゆる線は円の一部」と言っていたが、たしかに現実にある線を細かく見ると、どれも震えていたり曲がっていたりして、延長していけばそれらは必ずいびつな円=「島」を形作る。だから全ての線は内と外の空間と時間を分つ境界線であり、波打ち際なのだ。皮膚が体内と体外の空間を分つ波打ち際であるように、現在という瞬間は過去と未来の時間を分つ波打ち際である。
僕はまず「見ること」によってこの波打ち際をなぞる。そしてそのエッジに立って、見たこともないような魚を目がけて、できるだけ遠くへ釣り針を投げる。魚がかかったその瞬間に、釣り糸は内と外をつなぐ回路となり、やがて内と外が反転する。つまりかつての自分は消えてしまい、今度は魚の方が自分自身になっている。ポジはネガになり、未来は過去になる。あるいはネガがポジになり、過去が未来になる。これを繰り返すことで、エコーが生まれる。 アーサー・ラッセルの音楽アルバム「World of Echo」のように、エコーだけで作られたもうひとつ別の世界を、現実と呼ばれている世界の隣に作りだす。それは常に現実と反転し合いながら、時間と空間の境界線を変容させ、拡張し続ける。

一連のシリーズ"casting"は、博物館のカタログなどに印刷された資料写真の切り抜きを用いて、こういった「鋳造=投げ釣り」というプロセスを平面上で象徴的に行うという試みである。


casting #62 / 2012 / spray paint on printed paper © Hiraku Suzuki
bacteria sign (circle) #11 / 2000 / earth, dead leaves and acrylic on wooden panel © Hiraku Suzuki
road sign O / 2002 / pieces of asphalt © Hiraku Suzuki
Glyphs of the Light #02 / 2011 / aluminium © Hiraku Suzuki

2012/05/16

A season in between the big cut-ups

仙台 Sendai
祖母に会いに to see my grandma (my best friend)
神奈川 Kanagawa
スタジオで in my studio
石垣 Ishigaki
洞窟 the cave
神奈川 Kanagawa
スタジオで in my studio
西表 Iriomote
葉っぱ the leaves
神奈川 Kanagawa
スタジオで in my studio
神奈川 Kanagawa
ギター the guitar
福島 Fukushima
祖父に会いに to see my grandpa
東京 Tokyo
新しいリズム "A New Rhythm"
-

昨日描いた絵、今日描いていた絵、明日描く絵。

キング・タビーの音楽みたいに、タクシーの運転手との会話みたいに、ド忘れしていた友達の名前を思い出すまでの間のように、モロッコのメディナでまっすぐ進んでるつもりがいつの間にか来た道に戻っていたときのように、料理番組で「ハイ、これが一晩煮込んだものです〜」って別の鍋を取り出されちゃったときのように。 一見脈絡がない。時間も空間もプッツリいっているようで、テキトーなようで。でも、そこには見えない回路が確かに存在している。自ずと前に進んでいる。

何かと何かの間の空白は、虚無じゃない。ちゃんとそこに、季節が流れている。


2012/04/07

ローレン・コナーズと新しい記憶

Artcards and Printed Matter presents Editquette – a live visual-sonic performance curated by Opalnest for the 2012 Armory Arts Week.
Hiraku Suzuki and Julien Langendorff with Loren Connors
(photo: Amy Mitten. courtesy of Opalnest)

こんにちは、春。NYから帰国して、久しぶりに、そこらへんの木を近くから見たり遠くから見たり、スズメの顔をよく見たりとかしている。(iPhoneの番号など、前と一緒なのでよろしく)

しばらくハードな旅をしていたら、いわゆる故郷ってやつがなくなっていたんだけど。その代わりに地球上の色々な場所というか、もっと全体的なところが故郷っぽくなっていた。生まれてから2歳まで住んだ宮城の家はもうないし、父方の実家がある福島のあの桃畑や、ミミズで釣りをして全然釣れなかったあの河原にもう訪れることはないかもしれない。でも、それでいい。僕はもう大した荷物もないし、ペラペラの軽い紙があれば、どこでも作品を作ることができる。そして作ること自体が生きる現場になってきている。
世界中のどこに行っても、僕が描いた絵をパッと見て「なんか懐かしいワー」と言ってくれる人が時々いる。なんでだろう?なんだろうね。たまに「原風景」ということを思うんだけど、僕にとってのそれは、どうやら特定の場所にまつわる個人的な記憶というより、それこそ絵を描いているときや、街中や、ジャングルの中を歩いているときや、夢の中、音楽を聞いているときなんかに偶然ふと感じ取ってしまう、得体の知れない懐かしさの中にある何かのことだ。脳の裏側の空白部分に光が差し込んで、そこにキリッと立ち上がってはすぐに消えてしまうような、何か胸騒ぎがするような静かな風景を捉えたいし、人の中にあるそういう風景に触れることがすきだ。

人は本当に見たことのないものや、聞いたことのない音に深く触れたときにだけ、場所も時間も超えて、どこへでも行ける。情報と知識のツギハギ構造物に埋もれている、まっさらな目と耳を掘り出して、それを持って一歩外に出ることができれば、誰でも新しい故郷を作り出すことができると思うのだ。
「大人になっても子供の目や耳を持つ」ということじゃない。そりゃ無理ってもんだ。そうではなくて、蓄積してしまった大量の記号を気前よくいったん手放すことで生まれる空白の部分、その瞬間のいびつなカタチを恐れずに、くっきりと感じ取ることが必要なのだ。この時代にゼロからものを作って生きていくというのは、そういうことだ。

Performance Art Journalという、パフォーマンスとドローイングに焦点を当てたNYの雑誌がある。35年もの間この雑誌に携わってきたボニーという編集長は、メレディス・モンク、ローリー・アンダーソン、ジョン・ケージやブライオン・ガイシンなんかが描いた絵を次々と見せてくれつつ、僕のドローイングは全て「post-literature poetry」だって言っていた。ケージの楽譜に近い、とも言っていた。
文学が終わった後の詩、または、言葉を手放したあとにやって来る詩。この視点はナルホド面白い発想だな、と思った。それまで僕はじぶんの絵を、言語の「前」にかつてあったもの、と捉えることはあったけど、むしろ「後」だったんじゃないか。今はそう考えた方がしっくりくる気がした。
かつてモロッコのタンジェで、ガイシンが小説家のバロウズに「文学は絵画より50年遅れている」と言ってカット・アップの手法を教えてから、もう既に50年以上が経っている。僕は文学のことはよく知らないんだけど、僕が描いている架空の言語の痕跡のようなドローイングは実は言葉のずっと後に在って、だから意味が不在であり、いつも肝心の部分が空白なのだろう。
そう考えたら、僕のドローイングの中にある空白が、鏡のように鑑賞者の視線を反射して、それぞれの内面にかつてあったはずの言葉を照らしたときに、人は「この絵が懐かしい」と言うのかもしれないね。
僕の絵にどれも共通しているのはこうした「言語へのサウダージ」だ。それらは未来の視点から、かつてそこにあった言語(=いまここにある言語)を懐かしんでいる「原風景画」なのかもしれない。その状態をボニーは「post-literature poetry」と呼んでくれたのだと思う。

さて、帰国2日前に、ローレン・コナーズという音楽家と一緒に、ライブドローイングをやった。すごくいいライブだった。今までで一番よかった。

この偉大なギタリストの40年近い歩みについては、詳しく知っている人が他にいるだろうし、たった3回しか会ったことのない僕が説明するのはちょっと気がひける。
ただこれだけは言えるんだけど、いまのローレンが奏でる音は、めちゃくちゃ凄い。もう、ギターの音とかじゃない。砂漠で聞こえる風の音のようだったり、地下道の排気口から聞こえてくる音のようだったりもするが、それらとも全く違う。他の何でもなく、地球上でローレン・コナーズの手だけがつくり出せる唯一無二の音景だ。
彼の音は、ゼロ=無音と同じレベルの地平に、ただの1現象としてあっけらかんと放り出される。それでいて、最初の出音から最後の一音が完全に消え去るまで、呼吸をするようにどんどん変化する。耳から遠いずっと後ろから聞こえると同時に自分の体内の深い部分からも聞こえてくる。本当にとことん予測不能で無意味で、つまり自然で、大らかで、ヤバくて、危険で、でもどこか安らぐような、懐かしさを感じる響き。まるで空白が鳴っているような、人間が遠い未来に言葉を失ったとき、音楽はこういう風に聞こえるんじゃないか?というような音なんだ。

最初にローレンと話したのは、ルーレットでの彼のソロライブ終演後で、僕はすでに放心状態だったと思う。彼の数少ない親しい友人である恩田晃さんが紹介してくれたんだけど、杖で体を支えた灰色のスーツ姿のローレンが、穏やかな笑顔で僕の耳にポツリポツリと話しかけてくれたとき、何を言っていたのか、半分くらい分からなかった笑。でも同時に、NYにありふれた「ハロー」から始まるような関係性では絶対に伝わらない部分、言葉そのものではなくて言葉の痕跡の部分が伝わってきて、じんわりした気持ちになった。出会うべき人に出会った時の感覚って、こういうものだと思う。

その後プロデューサーが付き、やはりNYで衝撃的に出会ったジュリアンというパリから来ていたコラージュアーティスト/詩人も誘って、ローレンと僕とジュリアンの3人でヴィジュアルと音とのライブパフォーマンスが実現することになった。
まあ正直ローレンに関しては、ちょっとこんな凄すぎる人、しかも他のアーティストと共演をしたがらない人と一緒に、おれは一体何ができるのか?と思って何度か不安になった。演奏中に突然止まってしまうとか、共演者の音を全く聞かない(聞けない)ことが多々あるという話も聞いていた。でもあまり考えず、いつも通りゼロから即興していけばなんとかなるさ、と思って当日を迎えた。

ライブが始まってすぐ、ハッとした。僕はローレンの音の中で勝手に泳ぐようなイメージで描き始めていたんだけど、気づいたらローレンが椅子から立ち上がって、僕のドローイングを見ていた。彼は、変化していく僕の線や点に反応して、音を出していたのだった。
その時点で、これは今までのライブドローイングとは全く別次元のことをやっているぞ、という感触があった。僕は音と同時に進行する楽譜を書いているようだった。絵と音が、互いにトリガーとなり、時間軸上で寸分違わず進んでいった。感覚がなくなって回路みたいになった手を通じて、僕はローレンの音の全体像を初めて隅々まで深く理解していた。そうして自分でも全く見たことのない絵を次々と描いていた。ローレンの音も、今まで全く聞いた事のない音だった。二人とも、とても自由でたのしかった。時々ジュリアンがポツポツと流れを変えてくれて、またそれがよかった。

30分くらいの間、本当に濃密な時間が発生していた。あの場に居た人は皆、特別な空気を一緒に作って味わってくれていたように感じる。ライブが終わって会場の照明がついた直後、映画監督のジムが興奮しながら僕のところに来て、「なんであんなに完璧に、お前の絵とローレンの音が合っていたんだ?」と聞いてきた。そのときに思った。ああ僕もローレンも、相手に合わせたり互いに頼り合うこともなく、淡々とじぶんのことをやっていただけなんだと。そして僕たちはお互いの表現の中に、鏡を見るように、自分の新しい記憶を見つけて、それを懐かしんでいたんだ、と。
たぶん、こうやって僕はまたこれから、新しい故郷をつくり出していくんだろうなあ。
ローレン、ジュリアン、ヘレン、ジム、アニエスをはじめ、このライブに関わってくれた全ての人達、見に来てくれた人達、そして恩田晃さんに感謝。

Loren Connors, Julien Langendorff, Jim Jarmusch, Hiraku Suzuki
(photo: Louie Metzner. courtesy of Opalnest)

2012/01/11

8年目のGENGAについてのメモ

<連絡:昨年、iPhoneがニューヨークのどこかで消えました。3/15あたりまでのアメリカ外からの連絡はhirakusuzuki@wordpublic.comかhirakusuzuki02@gmail.comマデ、またはfacebookかskypeでよろしく。>














昨夜はNYで参加したグループ展のオープニングがあった。ラズや音楽家の恩田晃さん含め、たくさんの新しい友人達も来てくれて、Location Oneディレクターのクレアのロフトでアフターパーティーもあり、皆で楽しい時間を過ごした。当初のプランとしては作品「GENGA」の映像をシンプルに展示するつもりだったが、結局はバッチリ壁画も描いてしまった。ついつい、癖で。
でも、もう自分にとって作品の形態は入り口に過ぎないと思える。逆に入り口さえちゃんと設定すれば、あとはただそこから続く道を自分の速さで進むだけでいい。まっすぐ進んだり、抜け道や細かい道を選んで歩いているうちに、大きな歴史上の道に出くわしたり、ずっと昔に通った懐かしい道と交差する。そこには滝があったり、鉱山があったり、枯葉や、アスファルトや、マンホールがあったりもする。わざと未踏の森に迷い込んでそこにぐねぐねと迷路のような道を描き足したりもしていく。そしてまた手で、向かうべき方向を問いかけ続けていった先に、最終的に「これでしかない」という出口を、現実の中に見つける。その軌跡が新しい地図になれば、それは必ず作品になる。だから、いつも次に作るものが一番いいんだ。

来場していたMoMAキュレーターのクリスチャン・ラトメイヤーは僕の作品を見て、笑いながら固い握手を求めてきた。そんなつもりはなかったが、アホみたいに涙が出そうになった瞬間であった。西欧美術史の再生産とマーケット至上主義が加速するアートワールドを残念な思いで遠目に見ながら、極東の島国日本で粛々と自分の制作をしていた2年ほど前、クリスチャンの「Compass in Hand」という本に出会って衝撃を受けた。これはドローイングの全く新しい定義づけと拡張によってこれまでの美術史を塗り替え、それによって現実を見る視点そのものを変化させるような革新的な展覧会のカタログブックだった。コンパスは手の中にある。僕は自分と同じようなことを考えている人が遠く世界のどこかに居てデカイことをやっている、という事実に感激すると同時に、どうしてもそこに届かないちっぽけな自分の立ち位置に、言いようもなくもどかしい思いを噛み締めた。だから、2年越しのNYでのこの出会いは本当に感慨深かった。アーティストとキュレーターとかいう関係性に限定したことではなく、僕は自分の作品をしかるべき人に、しかるべきタイミングで直接伝えることが、どれだけの相乗効果を生み出すかを知っている。

ちょうど8年前の2004年に「GENGA」を描きはじめた頃、派遣社員だった自分は、銀座のオフィスに通い、求人情報誌に掲載する地図を作成するという仕事をしていた。統一された規格で、誰が見ても分かるような地図を作らなくてはいけなかった。でも仕事中はキーボードの下に白い紙をしのばせ、一瞬でも空いた時間にはそこに何か小さなカタチをメモしていた。昼休みはもちろん集団ランチをヘラヘラしつつ断り、日比谷公園のベンチで一人、ひたすら紙にスケッチをしていた。終業後は東中野の薄暗いアパートに直帰して、夜の7時から明け方まで、原始人みたいにコピー用紙とマーカーで「GENGA」を描いて描いて描きまくっていた。だいたい1日20枚描いて、1,2枚を残してあとは捨てていた。そこには何の目的も、野心もなかった。キャンバスに描かないと西欧絵画史の文脈に乗らないから売れないことなんて高校生の時から大体知っていた。というより、当初はこれを発表しようとすら思っていなかった。ただ、何かこの世界には、少なくとも自分が感じ取れる世界には、日本語とか英語とかという既存の言語では捉えることのできない普遍的な言語が既に存在している、という確信だけがあって、その全てを描き尽くしたい、そうせざるを得ない、という切実さがあった。

「GENGA」は、まず家に遊びに来た信頼できる仲間たちに面白がられ、ごく個人的な関係性の延長上で拡がっていき、やがてパリに居るアニエス・ベーというとんでもない好奇心と知恵を持った人物に深く受け止められた。彼女は一瞬ですべてを理解した。絵を見た直後に、「あなたは子供のころから絵や文字を描くのが好きだったのね」とニッコリ笑って、何も質問してこなかった。「あなたは私の友達だ」と言った。ある意味、作家以上にその作品を理解する人というのが実在することを初めて知って、本当に驚いた。僕がインタビュー等でいつも子供のころの話をするのは、そういうわけだ。
自分から売り込んだことは一回もないが、「GENGA」は東京でもストックホルムでもシドニーでもソウルでもサンパウロでも、もちろんパリでも見せる機会に恵まれた。そして絵が1000枚に達したと同時に、また新たな出会いから、金沢21世紀美術館の一番大きな展示室の壁一面を覆うことになり、2010年の2月にはアニエスの支援を受けつつ、東京の河出書房新社から本として出版された。この、少なくとも100年の耐久性を持った1000ページの文庫本は、アムステルダムのIDEA BOOKSからベルリンなどへ少しずつ拡がっていき、2011年の夏に個展をやったロンドンのセンター・フォー・ドローイングのライブラリーにも入った。こうして「GENGA」は本として、コムデギャルソンの川久保玲さんや、NYのジョナス・メカスやマット・マリカンなど僕が尊敬するアーティスト達の手にも渡り、そして昨日、現在世界でドローイングに携わる最も重要なキュレーターであるクリスチャン・ラトメイヤーにまで届いたというわけだ。この事実は素直に驚くべきことだし、希望を感じさせることである。つまり個から始まった作品そのものが、個の意識を超えて遠くの人や場所と出会い、まるで新しい星座を描くように拡がっていくこと。そしてまだまだ新しい人や未踏の地と出会い続けることは間違いないだろうということだ。

当たり前だが、美術館や海外のエライ人に認められたらエライ、というようなデカダンな話じゃない。ただ僕は、世界が、人間の生が、いくら複雑で困難になろうと、創造性の最も深い部分をシンプルに、生きていく力学そのものに近いところに取り戻したくて、そのためには、もうひとつ別の言語が必要だと思った。想像力を既成の記号体系から解き放ち、野性に保ち続けるための、世界の謎に触れるための新しい地図を自分の手で描いて、それを広い世界に問いかけたかった。

そういえば先日、アメリカの伝説的なダンサーであるトリシャ・ブラウンの個展に行って、初めて彼女のドローイングをまとめて見ることができたんだが、最初の一枚を見て、なにかスッと腑に落ちるものがあった。ドローイングといっても、本人が手や足の指に木炭を挟んで、巨大な紙の上で踊った痕跡である。まずまっさらな紙があって、その地平の上に、ある速度とリズムを持った身体と精神の動き、ストローク、跳ね、振動によって、未知の文字の断片がポツポツと生成されていって、それが大きな流れになり、そしてコトバになる直前でフッと消える。そんな巨大な地図のような絵の前で、レコードを再生するように、彼女の身体と精神の軌跡をそのまま体感することができた。ああ、これがこの人の話し方なんだなーということが自然と感じられた。

ジャック・デリダが「舌語(舌の言語)」と呼んだアンドレ・マッソンのオートマティックドローイング、それからアンリ・ミショーのムーヴマン、ブライオン・ガイシンの砂漠のカリグラフィー、マット・マリカンのヒプノシスドローイング、石川九楊の書、あるいは街中でふと目にする無名のグラフィティライターによるタギングも含め、僕がずっと気になり続けているドローイングに共通して感じられるのはこのことで、それらはいまだ解読されていない地図でもあるということだ。作家が死んでいるかまだ生きているかはあまり関係なくて、どれだけ時間が経とうと、彼らの絵は見る人の内側のプレイヤーで再生されることで生き続け、精神の地図を拡張し続けている。彼らの絵はカッコよくはないし、立派なキャンバスに描かれたものではないから、美術館で見てもなかなか収まりがよろしくない。しかし彼らの絵は、言語になる直前の状態で雄弁にしゃべっている。世界中の言語体系から自ずと外れたところで、「これでしかない」というような体系を持っている。何を言っているのか分からなくてもいい、とにかく彼らの身体と精神が辿った道筋そのものが証拠として刻まれた地図が、それぞれの話し方で、話しかけてくる。そういう絵と向き合うと、そこにある謎と、自分の内側の謎が時空を超えてエコーする。そうしたら今度は自分の内側の謎と外の現実世界にある謎が共鳴して、また新しい地図を描きたくなる。それがまた絵を見てくれる誰かの内面の謎と響き合っていったら嬉しいし、そうやって新しい想像力の地図がどこまでも拡がっていったらいい。

僕はいつも、世界がどれだけ広くて、人間はいかに何も知らないか、そして今でも世界がどれだけ新しい可能性を秘めているか、そういうことを問いかけ、引き出し、引き出され続けたい。だから、この仕事には終わりがないんだと思う。

2012/01/01

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

2012年1月1日
Rockaway Beach, New York